6/4読売新聞の朝刊に掲載。記事の補足と、10年前の挫折から夢が叶うまで
2023/06/23
こんにちは。風船使いたけむぅ〜です。
ご報告がだいぶ遅くなりましたが、
今月の初旬に読売新聞の朝刊(阪神間・兵庫エリア)にて
私の活動を掲載していただきました♪
<記事URL>風船に魔法 膨らむ元気
https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/feature/CO063276/20230604-OYTAT50003/
せっかくですので、記事の補足的なお話をします。
たけむぅ〜に興味のある方は、ぜひご覧ください(^^)+
🔳大学進学→中退まで
中退した大学は「臨床工学技師」の資格がとれる学部でした。
入学理由は、とりあえず得意な理系の大学で
「受験勉強しなくていいから」という理由で推薦入学で進学しました(笑)
特にやりたいことも夢もなかった私はが大学へ行く理由なんて、
「大学行ってないと将来詰むから仕方なく」くらいしかなかったんです。
そこでひょんなことから
BBS会という青少年保護のボランティア団体の地区会の立ち上げに関わり、
大学地域に関わる活動を始めることになったのですが、
それがとても面白く、この分野に関わっていきたいと思い始めたわけです。
そのうちに今の学部で勉強する意味もわからなくなり、メンタルも病んできて
さらには家庭の経済状況もあんまりよくなかったことを理由に中退して新しい大学に進学することを決めました。
その後、「児童福祉士」という資格をとりたくて、
自費で大学にいくためにアルバイトを3つくらい掛け持ちしつつボランティアをしていました。
🔳挫折→引きこもりニート生活
ですが、当時地元で関わっていた更生保護を受けている後輩との関わりの中で、
家庭というものの問題の深さに触れ、無力感に苛まれ、その分野でやっていく自信をなくし
将来が闇に閉ざされ、もう何もする気力が起こらなくなり、無気力になってしまいました。
その後、1年ほど実家でニート生活が続きます。20〜21歳の頃の話です。
他の同世代が、大学を卒業して就職し、社会人として自立していく中で、
取り残されたような気になって、
また、せっかく学費をだしてくれた親にも申し訳ない気持ち半面、
自分が決めたこととはいえ、応援してくれない家族にもイライラしながら、
誰にも相談できずに引きこもりになっていました。
「自分の考えは甘かったのか?」「現実からの逃げだったのか?」そんなふうに考える自分がいて、
でも、「それでもやりたいことをやって生きたい」という気持ちが消えず、
ただ、その理想の前にはあまりにも自分は無力で、それを補うために頑張る気持ちもわかない。
打ち込めるものがない。そして、モヤモヤ、イライラしながら過ごしていました。
今思えば、めちゃくちゃ子どもだったなぁと思います。
🔳心の居場所→転機
その間、インターネットで知り合った友人と親しくなりリアルでもあって遊ぶようになりました。
そこには、同じように無気力で悩む同世代や、鬱などのメンタルヘルスで苦しむ友人たち
シングルマザーや夫婦間の問題をかかえた孤独な中年など色んな人がいて、
その中で、悩みを相談し合い、お互い励ましあったり、喧嘩したりしながら過ごせる
「唯一の心の居場所」だったわけです。
でも、「いつまでもこのままじゃいられない」という焦りも常に心の片隅にありました。
そうしているうちに「自分はこのままでいいのか?」と考えるようになり、
仲間のニートが会社の面接にいって就職したのをきっかけに、
「とりあえず働こう」と、友人の勧めもあり、ようやく一歩を踏み出すことができました。
🔳初めての社会人→バルーンアートとの出会いと始動
そして、働いたのが派遣での携帯ショップの定員でした。
そこから色んな人のお世話になり、色んな失敗や成功をしながらようやく社会人になれました。
その頃にたまたま出会ったのが、バルーンアートです。
お客様を笑顔にできる最強ツール。その技術を仕事に活かすために自己流で色んな企画をやりました。
その頃の私は、ニートで過ごした1年間を取り戻すという気持ちでガムシャラに働いていたのでやる気も満々。
その後、携帯販売の仕事から離れ、色んな場所で営業の知識やスキルを身につけた後、
ようやく生活と収入が安定した頃に、バルーンアートの技術を活かし、
昔からやりたかった地域のボランティア活動を始めるに至ります。それが26歳の頃の話です。
そこからはこの新聞記事にあるように、様々な場所でバルーンアートの活動を始めます。
🔳セミプロ→バルーンアートで夢を叶えた
そして、いつしか仕事でバルーンアートを依頼されるようになったので、
そのお金を貯めて、日本福祉大学という大学に通信で通い、4年かけて31歳で無事大学を卒業しました。
児童福祉士ではありませんが、10年かけてようやく念願を果たしたというわけです。
20歳の頃に思ったこととは違ってしまいましたが、
それでも、10年後の私は若い頃に描いたとおり、子どもたちや地域に関わり、
「人を笑顔にしたい」という想いはブレずに「やりたいことをやる」人生を送っています。
それを叶えてくれたのが、私にとって「バルーンアート」ということです。
🔳失わなかったただ一つの想い
こうして、私は10年かけて、想像したのとは全然違った形で夢を叶えたわけですが、
「今のようになりたい」と思ったのは、ほんの数年前の話です。
それまで、私は、もっともっと小さな夢をずっと描き、叶え続けてきました。
「こんなことやってみたい。」「あんなことやったら面白いだろうな。」
本当に、あえて言う必要もない、しょうもない夢ばかりです。
その一つ一つを叶えるたびに成長し、新しい発想や技術や知識が身につき、
10年前には「絶対に無理だ」と思ったことが、いつしかできるようになっていました。
そして、その経験を通じていつも側にいたのは「誰かと一緒に笑い会いたい」という気持ちでした。
あの時はバルーンアーティストなんて存在は知らなかった。だから無理だと決めつけていた。
でも、その気持ちを抱き続けた結果、出会うことができ、
それまでがむしゃらに色んな経験をしてきたからこそ、それをやることができた。
一つ一つの小さな積み重ねが自分に元気と勇気をくれました。
もし、あの時に無理だと諦めて「誰かを笑顔にしたい」という気持ちまで失っていたら、
きっと今、こうしている自分はいなかっただろうなと思います。
🔳夢を叶えるために
そんな私が学んできた全ての人たちに伝えたいこと。それは次の6つ
(1)夢を見るのに年齢なんか全然関係ない。いつからでも始められる。
(2)自分の本当の想いと向き合って、見つけたら絶対に想いを死なさない。
(3)今、できることややりたいことがあれば全力でやれ。やるための方法を考える。
(4)今いる場所が全てじゃない。自分の狭い視野を世界の全てだと思わない。
(5)できないことは誰かに頼れ。頼ったらちゃんと感謝すればいい。大切なのは想いを伝えること。
(6)大勢に好かれるより、自分が自分を好きでいられることの方を大事にしよう。
この6つは、言うのは簡単。どこかで聞いたようなセリフばかりかもしれない。
でも、どこかで聞いたセリフだからこそ、皆がそう思っているという大事なこと。
大事なことは言葉ではなく、この言葉に自分の経験や想いがちゃんとのっかってるかってこと。
ぜひ、そのことを覚えていてほしい。
そして、そうすれば何歳からだって、どんなに今がダメな人間だったとしても
いつか誰でも、必ず夢は叶うんだって証明し続けて
自分と同じような想いを抱える人たちに1人でも多く、勇気を与えられる人間になれば
これまで迷惑をかけた人たちや現在進行形でお世話になっている人たちへの恩返しになるかなって
そう言うふうに思っています。
🔳まとめ
ということで、補足どころかえらい長文になってしまいましたが
読んでくださった方、本当にありがとうございます(笑)
引き続き、こうした想いを胸にバルーンの活動頑張っていきますので、
是非とも応援してもらえると嬉しいです!ではでは!
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